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  • 2010.04.07 Wednesday
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英語教育シンポジウム @慶應義塾大学

大津研究室主催の英語教育シンポジウム、僕にとっては3度目の参加です。今回の議論について感想・意見を述べておきます。

小学校英語反対グループのように思われいたシンポジウムですが、必修化が決定してしまった今はまた違った主張を始めています。英会話に特化するのではなく、言語への気づきを促す教育の「すゝめ」を広めようとしています。それは前回の資料や『ことばの力を育む』を見ると、より明らかでしょう。

今回は小学校英語も議論に含みますが、中心は『「英語が使える日本人」の育成のための戦略構想行動計画』を見直すことです。大津先生のこのタイトル自体に対するツッコミは可笑しかったです。MSワードでは「の」の連続であると緑の波線が現れると言い、続けて『この程度の日本語力しかないやつが英語教育を語るな』の一言。できれば別のタイトル案を出してほしかったです。

英語教育の根本原理を問うことが重要なのは言うまでもないことでしょう。しかし、登壇者の数人が楽しそうにしていた御用学者への匿名批判は何だったのだろうか・・・?政府関連の仕事をする研究者は恐らく政府の方針と少なからず近いからそこで働いているのだと思うのですが、どうなんでしょう?もっと踏み込むと、政府関連の研究者は政策を変えるほどの権力(発言力)があるのでしょうか?政策が研究に基づいて立てられているのではなく、研究が政策に基づいて出されているのだとしたら、批判すべくは政府の姿勢か御用学者か・・・?初めからホントは研究など信頼していない政治そのものが問題なのではないか?ここまで言うと言いすぎかもしれないが、『御用学者は、恥を知るべきである』と考えるのであれば、批判したメンバー自身やその教え子がもっと直接的に教育政策研究所や教育再生懇談会に関わることができるポジションにつくよう努力をすべきではないのか?特に後者の座長は安西慶應義塾大学塾長だしね。

山田先生や斎藤先生などが『学校教育で英語が話せるようになるなど幻想である』ということを主張していますが、まさにその通りですね。ただ、『戦略構想』は学校教育のみで達成するものと考えられて作られていないと僕は思います。新自由主義的な系譜を踏んできた21世紀の教育行政(財界)において、学校教育の枠組はあくまで年齢層を表すための言葉としか理解されていないのではないか。学校教育外で力を伸ばすことが期待されているのでしょう。それでも『戦略構想』の作成者は英語教育シロウトであろうから、TOEICやTOEFLなどの数値目標が意味するものがいかに薄っぺらいものかを考慮せずに基準を策定したと思われます。当然、学校教育外の教育にプライオリティーを置く新自由主義の発想は、格差を自然の摂理とでも解釈しなければできないものです。だからって格差を生み出すシステムを作ることも正当性があると思わないでほしいんだけど・・・。『戦略構想』は文科省が作ったものではない(江利川)というのなら尚のこと、この構想に見られる学校教育は単に年齢層を示すだけの言葉にすぎないのではないかと僕には考えられます。

会場に鈴木孝夫さんがいましたが、9・11でっちあげ説をあれだけ断定的に語るとは思いませんでした。信じる信じないは個人の自由ですが、あくまで仮説であることすら言わなかったのはマズイですよね。『アメリカ信ずるべからず』という一面的で偏った価値観を鵜呑みにしてしまった参加者は恐らく少ないので大したことはないのかもしれませんが、アメリカを卑下することで言語相対主義を追求するやり方はいかがなものかと思います。。




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